2012年3月11日、新宿から東京に向かって歩きながら、シャボン玉を吹いた。それから毎年その日に、シャボン玉を吹きながら歩いて家に帰っている。帰宅難民というのは、都市の交通が麻痺して 家に帰る日常的な手段を奪われた人々のことを指す。帰宅困難者とも言う。2011年3月11日は、彼らや、彼らを見守った多くの人々が大健闘した日だ。私はそう認識している。多くの人が「あの日を忘れてはいけない」と語る。でも、それは、なぜ?すぐに、答えられる大人は、どのくらいいるだろうか。たとえ、時間がかかったとしても良い。 その理由を考えてほしい。あの日、私たちは、何を思っただろう?絶望に思えても、その中から希望を見続けることができたのは、なぜだろう?今もまだ、絶望の淵にいる人も、多分いるのだろう。あれから8年が経つ。いやでも、月日は流れる。時間は自動的に進んでしまう。その時間の蓄積に比例して何かの成果をなしているかなんて 誰も確かなことは言えない。それでも、「何か」は変化して、今日がある。私たちはあの日の自分の目を見て「いま」を報告できるだろうか。私自身も、想像してみる。まだずっと、歩いてる。私は歩みの途中にいる。残念ながら、あの日に私が思い描いたような政治情勢ではない。もうちょっとマシになっていると思ったがそれでも、諦めずに健闘している大人がたくさんいるということは分かってきた。だから私も自分の仕事の領分を諦めずに しゃぼん玉を吹いて歩く様子をインターネットに乗せて中継しようと思う。3月11日が、シャボン玉で溢れる美しい夜となりますように。この日が数ある平和の象徴に、含まれますように。2019.1.28 三木麻郁
2012年3月11日、新宿から東京に向かって歩きながら、シャボン玉を吹いた。
それから毎年その日に、シャボン玉を吹きながら歩いて家に帰っている。
帰宅難民というのは、都市の交通が麻痺して 家に帰る日常的な手段を奪われた人々のことを指す。
帰宅困難者とも言う。
2011年3月11日は、彼らや、彼らを見守った多くの人々が大健闘した日だ。
私はそう認識している。
多くの人が「あの日を忘れてはいけない」と語る。
でも、それは、なぜ?
すぐに、答えられる大人は、どのくらいいるだろうか。
たとえ、時間がかかったとしても良い。 その理由を考えてほしい。
あの日、私たちは、何を思っただろう?
絶望に思えても、その中から希望を見続けることができたのは、なぜだろう?
今もまだ、絶望の淵にいる人も、多分いるのだろう。
あれから8年が経つ。
いやでも、月日は流れる。
時間は自動的に進んでしまう。
その時間の蓄積に比例して何かの成果をなしているかなんて 誰も確かなことは言えない。
それでも、「何か」は変化して、今日がある。
私たちはあの日の自分の目を見て「いま」を報告できるだろうか。
私自身も、想像してみる。
まだずっと、歩いてる。
私は歩みの途中にいる。
残念ながら、あの日に私が思い描いたような政治情勢ではない。
もうちょっとマシになっていると思ったが
それでも、諦めずに健闘している大人がたくさんいるということは分かってきた。
だから私も自分の仕事の領分を諦めずに しゃぼん玉を吹いて
歩く様子をインターネットに乗せて中継しようと思う。
3月11日が、シャボン玉で溢れる美しい夜となりますように。
この日が数ある平和の象徴に、含まれますように。
2019.1.28 三木麻郁